産業化の進んだ国に限っても教育には二つの類型
文化の面で長い中央集権の伝統のある国。
 フランス、イギリス
 ロンドン、パリは2000年の昔シーザーの頃から政治と文化の中心であった
文化の面で分権的な国
 西ドイツ、イタリア、アメリカ

この二つの類型を踏まえないと、身勝手な議論になる。第一の類型を無視すれば、わが国は学校歴社会で、どの学校を卒業したかというレッテルがことを決める、という議論になる。他方、第二の類型を無視すれば、わが国はエリート教育がお粗末だ、という主張になる。

わが国の常識は、実際には先に述べたような超平等化の要求を行いながら、日本社会は効率の求める以上に学歴偏重で「身分的」だという認識に立っており、それ故効率との衝突という由々しい大問題が認識されていない。だからこの本では何よりも第一に、この思い込みと事実との乖離を、入手できる資料によって明らかにしていきたい。

進学過剰論は昔からある。昔は初頭教育も「有害」とされた。
スクーリングと仕事との対応のあいまいさは、実は多くの国で共通する問題である。

学歴社会の虚像 (1979年) (東経選書)学歴社会の虚像 (1979年) (東経選書)
小池 和男 渡辺 行郎

東洋経済新報社 1979-09
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