アールビバンのエウリアンの悪徳絵画商法が有名になってしまったクリスチャン・リース・ラッセン例の派手なイルカの絵の人。日本の美術業界ではヒロ・ヤマガタラッセンに触れる事はタブーとなっているそうな。ただし彼らの作品の何がどう良くないのかは、誰もうまく説明できず、その辺を15人の論者がそれぞれ考える本。
んで、考えた結論(の一つ)が

理詰めで考える限り、どうやっても軍配はヒロ・ヤマガタらに挙がる。
 私はこれを「ヒロ・ヤマガタ問題」と呼んで、二十世紀中に解決したいとかねがね思っていた。結論を急ぐと、現状の民主主義体制を是認している限り解決不可能と判断した。逆に言えば、美術は、種々の寛容が惹起した商業本位的衆愚とは相容れない何らかの権威によって、画定されなければならない。その権威を、同語反復を内包した論理に求めたのが方法主義であり、私の考える解決である。

http://assman.tumblr.com/post/1120755677

要は「良いものは良い」「判る人には判る」なトートロジー。何だかな。つかそれただのストレートな権威主義…。「美的判断は常に差異の問題」を認めないからこういう無理な話になる。大衆に人気を博したら美的判断の基準では地位は下がるとブルデューがが言ってた。
 あとは、何かラッセンの展示会はショッピングモールで行われる事が多いという事で、郊外化が云々と、要はラッセンが受けてるのは無教養な田舎の田吾作共の間という話に持って行く訳だがそこで実は展示会は大東京砂漠のど真ん中の六本木ヒルズでも結構やってるという茶々が入り、どうするのかな、と思ったら「実は六本木ヒルズこそが都市の中に生まれた郊外的空間であるといっていい」とか言い出して担当章終わり。呆れた。ショッピングモールはみんな郊外か。
 別の人は、ゲイバーで飲んで便所に入ったら云々とか関係無い事ばっか書いて埋めてたり、一昔前のオーディオ機器評論みたいな文章だったり…。
 やはり美学は人文系の中でも最下層、学問の名に値しない文芸。何というか…ダメですな。
 つかラッセン画伯は

フランドル絵画のグレージング技法を独学で学び(略)現在の「イリュージョナル・リアリズム」と呼ばれる折衷的な作風が形成(略)水中と水上を一挙に描くスタイルを自分のものとし(略)版画技法の開発に情熱を傾け、シルクスクリーン、シルバークローム、ジークレーなどを経て、ラッセングラフと呼ばれる独自技法の開発に到りました

って独自の構図に独自の技法を編み出すとか何か凄い真摯に取り組んでるような。んで美術界隈の人がどう扱って良いか困る、即ち…

位置づけ困難なユニークな存在。そんな制作物を作り出す事はあらゆる創作者の課題

とか。

ヒロ・ヤマガタラッセンも、美術の世界では無視される存在。というか、無視しないと成り立たないのですが、なぜタブー視するかというと、存在がタブーなだけあって上手く説明できません
──ラッセンが売れ始めたのは90年代前半。その当時、美術業界の評判や扱いはどうでしたか?
暗黙の了解で、「言ったら終わり」のような扱いでした。
──なぜ「言ったら終わり」?
出現の仕方と……絵柄。美術では単純な具象はバカにされるのですが、そのバカにされる典型をやっているようなものだからです。

http://netallica.yahoo.co.jp/news/20170128-86298349-netallicaq

寧ろこっちの方が直截で分かり易かった。つまり権威主義であり、権威ギルドへ仁義を切らないどころか上納金が無かった故。

ラッセンとは何だったのか? ─消費とアートを越えた「先」ラッセンとは何だったのか? ─消費とアートを越えた「先」
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