無条件降伏を実質的に修正する「ポツダム宣言」という対日声明が出されました()それを示すとなると無条件ではなくなる訳です。()ただ、アメリカの軍部や政府要人にそういう結論を至らせたのは日本軍でもありました。硫黄島で()日本軍の死者は2万3千。けれどもアメリカ側の死者は2万7千です。アメリカ政府・軍部はこれにショックを受けているのです()大きな犠牲をアメリカの若者に強いるよりは、むしろ日本側も了解できる条件を提示して本土決戦前に終わらせた方が良いのではないか。こうした流れを作ったのが硫黄島であり沖縄でした。
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本土決戦を避ける負け方ができたことは、戦後日本にとって大きな意味がありました。日本の犠牲者は310万と非常に多い訳ですが、本土決戦に至らなかったからこそ、この数字にとどまったとも言えます。ちなみに、ドイツやポーランドでは700万もの犠牲者を出しています。また、本土決戦に至らなかったために、分割占領が回避されていました。もし戦争を続けていたら、アメリカ軍が太平洋側から、ソ連軍が北海道や日本海側から入ってきたでしょうから、否応なしに、戦後はドイツのように分割占領になっていたでしょう。また、天皇をはじめ、日本政府が温存できたのも大きい。

今の日本で衰退論や悲観論が強まっている事には不思議な部分もあります。例えば私が子供の頃、1960年代は今より貧しくて、日本の国際的地位も低いし、客観的に見ていろいろな問題も深刻だったはずですが()今の日本も、世界から考えれば、決して悲惨な状況ではありません。平和だし民主的な政治制度もある。それなりに繁栄もしている。なのに、極度に不機嫌な気分が支配的です。もちろん問題を挙げればきりがないほどたくさんありますが、それなら改善すればよいだけなのに、ほとんど宿命的な議論が支配しているのは、いささか奇妙です。

戦前はどうだったかというと()行政府の長は内閣総理大臣ですが()閣僚の任免権も持っていませんでした()総理に逆らう大臣が辞任しなで頑張ると()戦前と戦後を比較すれば圧倒的に戦前の体制の方がリーダーシップを取りにくい構造だった
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結局、軍は政治的な主体になることはなく、あくまでも擾乱勢力にとどまりました。つまり、権力の中心が空っぽになってしまった。1930年代の政治的意思決定は、そうした非常に困難な状況の中で行われた。長いタイムスパンでみると、日本は着々と計画的に中国大陸に対して侵略政策を実行しているように見える訳ですが、中を見てみると、分散化した権力どうしがせめぎあって、誰もまとめきれず()1941年にアメリカとの戦争が避けられない結果になったのも、多くはそこに理由が求められます。
 政治に求心力がなくなると、方向性が定まらなくなり、政治が状況に流されてしまいます。こうした1930年代の歴史の経験から、いまの日本が学ぶことは多い筈です。

冷戦後に社会主義系の政党は凋落し、新しい選挙制度の下で政治家の競争が激しくなりました。政党間のイデオロギー対立はなくなりましたから、政治家が政党の間をたやすく移動するようになりました。()野党もメディアも国民も政権与党を徹底的に批判し、ちょっとした失敗でも首相は辞任せよという大合唱()こうしてコロコロと内閣が変わり続けているのです。
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衆参合わせて平均すれば1年半に一度は国政選挙がある。これでは政治が安定しないのも当然です。

中国の行動のもう一つの要素は、中国には現在敵対している相手や将来敵対しそうな相手に「思い知らせようとする(懲らしめようとする)」傾向がある、という事です。()中国が領有権主張について事を穏やかに進めていくことはないでしょう。

連続シンポジウム 日本の立ち位置を考える