1974年、まだ社会主義が理想の輝きを失っていなかった時代、東久留米市滝山団地近辺の小学校における日教組の若き熱血全共闘教師と専業主婦団地妻PTAによる、反官自主独立的共産主義風味学級運営が浸透していく様をそれに馴染めなかった生徒視点から描いたディストピアノンフィクション。

戦後教育を批判する滔々とした流れに逆らう事は何人と言えど許されなかった。

あらゆる現実の民主主義は、平等のものが平等に取り扱われるというだけでなく、その避くべからざる帰結として、平等でないものは平等に扱われないということに立脚している。すなわち、民主主義の本質を成すものは第一に同質性ということであり、第二に必要な場合には異質なものを排除無いし絶滅ということである。

理想に燃えるとディストピアになるモダニズム恐るべし、社会主義恐るべし。全国生活指導研究協議会恐るべし。伝統は、その地の風土で歴史の審判に耐えた、人間の弱点に対応する雑多だが有用なテクニックの集積だ。抜本的改革志向左派政権、ダメ、絶対。(米国経由和訳の)リベラリズムファシズムだ。
と言ってもこの著者も結構面倒臭いエリート意識持った鼻持ちならない人だし、誇張が無きにしも非ず。気にし過ぎじゃん…というか、おそらく著者以外の生徒も適当に調子合わせてただけで真面目にハマってた訳では無いんだよな。著者は塾に行っていないクラスメートを馬鹿にしていたから気付かなかっただけで。その証拠に小学校卒業したらスパッと忘れてる。
班とか委員とか学級集団作りってこの頃特有の流行だったような筆致だが、私もこの本より随分あとに小中学生やったが班とか林間学校は有ったな…。今は無いのかしら。
しかし当時はPTAによる学校・学級の自主運営は、国家・官・体制への対抗であり進歩的運動だったのに、今ではPTAこそが旧弊な体制として煙たがられ進歩派(笑)から敵視されるというのが何だか所業無常。勝てば官軍ならぬ、浸透したら因習。
本題ではないが当時、算数の教授法として旧弊体制の「教え主義」に対抗する進歩的平等主義な「水道方式」なるものが一部で流行っていたそうだが今でもあるのかしら…。弱点は算数嫌いをなくすことに力点が置かれたため学習が遅れがちになったそうだが…。
→まだあった。http://suikukai.com/ http://suidomethod.com/ ただ、PISAでもTIMSSでも日本の小中学生は世界上位をキープしている実績に鑑みると現行のカリキュラムに大きな問題は無さげ。