優生学と人間社会―生命科学の世紀はどこへ向かうのか (講談社現代新書) | |
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・1950−60年代には優生学に負のイメージは無く、優良な子孫を残すため、いとこ婚は止めましょう、といった言説は先進国では普通の良識だった。
・実はアーリア人至上主義と優生学は関係なく、民族浄化政策はドイツ民族を弱めると「優生学の見地から」これに反対し混血を奨励した優生学者はドイツに大勢居た。
・徴兵検査に合格する優秀な若者だけが逆淘汰される戦争には全員反対。ちなみにユダヤ人の優生学者もいた。そもそもドイツ発祥の学問でもない。
・日本にて優生思想が「二度と許してはならない悪の極北」「ナチズム」的イメージを持ったのは1970年代。脳性まひ患者団体「青い芝の会」が羊水検査および母体保護法への胎児条項導入反対運動の際にナチスドイツを引き合いに出し大いに語った事による。今では「危機イメージとしての優生学」が広まりそこでは優生学がどのように危険かは不問である*1。
・英米ではやはり1960年代末に、IQ,性差,攻撃性に関する遺伝決定論に対する激しい批判運動が起こり、遺伝決定論は疑似科学とされ、遺伝子治療や人類の遺伝研究にまで攻撃は及んだ。
・何故ナチスドイツに絡めて優生学の「(悪い意味での)再発見」が60年代後半〜70年代に起こったのか。以下が考えられる。
1.60年代の公民権運動により障害者、同性愛者の権利確立運動があった
2.60年代後半の反公害運動やベトナム戦争反対運動により、科学技術一般や専門研究者に厳しい目が向けられるようになった
3.60年代を通じ分子生物学が発展し、遺伝子の基本原則が分子レベルで明らかになった
・今日のアメリカでは、自己決定、インフォームドコンセント、プライバシー権、との絡みで、「自発的な優生学(レッセ・フェレール)」が進行中。現実に、特定の先天的疾患*2を持つ子供の出生が激減している。
・この本の筆者はそういった事に反対(つまり先天的疾患を持つ子供がこれからもドンドン生まれるべきであるって事?)。しかしナチスのイメージに頼る現行の倫理では出生前診断と両親の自己決定による「自発的優生学」を悪事と断ずる事はできない。
・ので、優生思想=ナチス=悪 の短絡的イメージからは脱却し、新しい生命倫理が必要云々
なお、スウェーデンでは1975年まで知的障害者と精神病患者と少数民族を対象に断種法やってた模様。
んー「国が基準を定めて劣悪人間の胎児は一律堕胎」とかやると、似た人間ばかり増えてバナナのごとく伝染病に弱くなったり、基準が間違ってた時の影響がヤバかったりの懸念があるけれども、事前判定で両親が優生思想なりその他の条件に基づき決めるのは別に良いんじゃなかろうか。好みが色々ある上に条件は刻々と変わるから似た人間ばかりが増える事も無いし、個別に判断を誤った時の影響も親族で留まりそう。
筆致のトーンは優生学に否定的なんだけど、何故に否定するべきなのか?という理由を次々自分で検討しもこれといった決定的理由を見出せなくなくて、しかし何故か否定すべきものという信念は変わらず、筆者が苦しげ。
「知的障害者は断種、安楽死」は言語道断として(知的障害者が子孫を多く残す訳が無いので優生学的にも意味無いし)、「出生前診断で遺伝病発見→中絶」までは「胎児を殺すのは良くない」で否定できるものの、この先「出生前診断でダウン症発見→遺伝子操作治療で利発な赤子に」更に「出生前診断で凡人発見→遺伝子操作治療で天才児な赤子に」は死人も病人も出ないし何故に悪いのか?と。筆者をはじめ結構な数の人々がこれを良くない事と考えてるんだけど明確な理由がまだ判らない、と。
そいえばイーガンの短編で、「ホモになる遺伝子」がとうとう特定されて、これを遺伝子治療すると当人が性同一性障害に苦しむ事は無くなる、ただし、その子々孫々までホモになる事は絶対に無くなるので人類ホモ根絶の危機(?)。で、ホモの主人公が思い悩む、というのがあったなー。まぁズバリ「ホモ化」の遺伝子の存在は怪しげだが「太りやすい」「禿げやすい」程度に「ホモやすい」は有りそうなので遺伝を調べてある程度の予防はいずれ可能ではなかろうか。
妊婦の血液中に含まれる微量の胎児由来の遺伝子を基に染色体異常を調べる手法を開発。妊娠11〜14週の妊婦40人の血液を使い、14例のダウン症と26例の非ダウン症の胎児を正確に見分けたという
妊婦の血液でダウン症診断