高校教育に古文漢文が必修だがこれは不要なのでは?という件に関するシンポジウムの記録。
否定論者(必修不要派)と必要論者の大学教授がそれぞれ2名ずつ、まず全員がプレゼンしてその後に討論、と言う良くある流れなんだけど、双方の発表が終わってさて討論、司会者が
「否定派の古典不要論に対して肯定派の方で何か反論というかお考えがあればお願いしたいんですけど、いかがでしょうか。渡辺さんどうでしょう。特にないですか。福田さんどうですか。特にありませんか。そしたらフロアに振っちゃっていいですか」
以上、解散。
え?反論なし?マジか。事前に否定派の発表原稿もらってそれ?
プレゼンも、不要派の理工の先生とAIの先生が、自分は何故必修不要と考えるかを理路整然と述べたのに対し、文学部の先生は徒然草の読書体験や漢文の漢方医学書を訳した体験を述べるという頓珍漢よ。
ディベートどころか意見交換すらできず、文学部のこの催しで四面楚歌を覚悟の上で呼ばれてわざわざ来た否定派のお二人もがっかりな感じ。
国語教育関係者はディベートができない
(r)
議論を避けるくらいならこういうシンポを企画すべきでない。
とか
誰かが疑問を出したら、まずそれに答えるということを何故考えないのだろうか。誰かが意見を述べたら、まずはそれに対する賛否を述べるのが正しい。自分の意見だけを述べたのではそもそも議論にならない。
とか呆れておられる。
文学部の先生の議論のできなさっぷりが、否定論者の「古文漢文は芸術の選択科目とし、論理的な議論の仕方を国語で教えるべきである」の実例を身を以て実証してしまっていてダメだこりゃ。
「論理国語」科目新設は全く正しいな。文科省久々にGJ。