此間の日本SF展にもあった怪獣図鑑で有名な怪獣博士・大伴昌司に関する関係者インタビュー集。かなり分厚い。人数が凄い多いのは顔が広かったのだろう。
なんでも日本推理作家協会の新年会に参加して名物の「犯人当てクイズ」の最中に頓死して当時新聞にも載ったとか。なんて怪しい死に方なんだ。因みに死因は喘息の薬の吹き過ぎらしい。
天才と称える人がいたり山師と断ずる人がいたり毀誉褒貶が激しい。
概して、講談社や小学館社員の編集者はビジュアル系雑誌の礎を築いた天才的先駆者と絶賛し、SF小説家達には旨い話に寄ってくる山師と評判が悪く、画家・イラストレーター達は(納期や注文で)酷い目に遭った話が多く、特撮関係者にはウルトラマンが当たった後によく出入りしてたけど何をやっていたのかは良く分からん奴で余り記憶にない、と言われてる感じ。
代表作(?)の怪獣解剖図なんかはチームで考えて画家の遠藤昭吾が書いたものを勝手に「大伴昌司」の名でマガジンに連載して単行本化しちゃってたらしいですな。円谷的には怪獣は身長200M位のイメージで作ってるのに50M前後に決めたり。
怪奇ミステリ→SF→円谷、と儲かりそうな所にすーっと入り込んできて利用するみたいな。あと全般に当時の出版社は物凄く人脈というかコネで回ってた感が凄い。契約したのかしないのかはっきりしないという逸話がそこかしこに出てくる。
ちなみに赤の他人だったゾフィー、マン、セブン、新マンをウルトラ4兄弟にしちゃったのは小学館の上野昭雄氏だそうで何故か大伴昌司にずいぶん怒られたとか。怒られる筋合いじゃないのに…。んで怪獣ブームの頃、秋田書店も怪獣図鑑っぽいもの出そうと声を掛けたが断られ、別著者で出したらこれも連日深夜数時間の抗議電話掛かってきたとか。何だか酷い奴だな。どうも福島正実といい「名物編集者」は碌でも無い奴が多い印象。
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