2000年代のイスラム圏の政治状況の話。
まず人口動態の話から始まるあたりニュートラルな筆者な感じがして良さげ。
医療や保険、生活水準や教育水準の向上が人口増加率を下げるという傾向は、イスラム圏には当てはまらないそうな。世界人口が3割増える間にイスラム教徒は5割増えているとか。こりゃイスラム教根絶は難しそうというか寧ろ人数的に撲滅されるのは近代人類文明の方かもしれないという。
日本では、親が自由に子供の名前を創ることができるが、多くの文化圏ではそうなっていない。たとえばフランスにしても、ナポレオン法典で用いてよい名前は決められており()中東の場合、法的な規制があるわけではないが、アラビア語でもトルコ語でもペルシア語でも既存のセットから選択するという原則は共通している。
前近代の宗教の時代から世俗性の強い近代社会への移行は、政治的にはナショナリズムの高揚によって果たされる。少なくとも20世紀にはそのように想定されてきた()それは中東では成功しなかった。何故かといえば、民族性を確立する過程で宗教性を重要な要素
超域的な「ウンマ」を忠誠の対象とする思想は、既存の国家の枠組みに対抗する性質を持つ。植民地支配から脱したイスラーム諸国が「国民国家」の体裁を取った事については、ウンマを分裂させるものとして20世紀半ばから批判があった。
フランス人にとってスカーフは勃興するイスラーム主義と劣化する社会生活の象徴となった
「宗教間」で対話をしても、実際に対立している相手との対話にはならないという問題である。なぜなら「西洋対イスラーム世界」という場合の西洋は、キリスト教世界の事ではなく、政教分離を行い、科学の聖俗革命をも遂げた近代的な西洋であって、イスラモフォビアの根底にあるのは往々にして世俗主義の思想と勢力である。
西洋と近代が違うことは、日本の目から見れば自明であるが、これをイスラーム圏出身者が確信をもって明言することは難しい。
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そもそも西欧という地域が持つ文化的・歴史的な特性というものがある。それは西欧の地域文化であって、普遍的である必要もグローバルである必要もない。日本は必死で学ぶ中で、西洋と近代は別のことであると知った。重なり合う部分も大きいが、違いもはっきりとある。
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ところが、西欧では、その違いが分からないことが多い。
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その一方で、米国には、西欧とは次元が異なる近代性がある。
あと、中東と言えばいつも戦争やってるイメージがあるが、年表があって実際その通りで10年に1度は大戦争という。80年代以降、東南亜細亜と東亜細亜では、南北朝鮮人達を除くと大きな戦乱は無く対話と交渉が国際関係の基調となったのに対し中東ときたら…。
まぁ本当はやるだけやって勝敗を決し完全決着をつけるまで戦争するしかない、日本でも戦国時代にもしも南蛮人が外から武田信玄を天下人に決めても、戦国武将の皆さんは納得しないだろと思うんだけど、何せ石油が採れるので欧米列強が推し勢力を応援しまくるからな。後、ユダヤ人の造った悪の占領国家イスラエル。
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