「ちがう意見=敵」と思ってしまう日本人には、議論をする技術が必要だ。⇒成程!
いつになったら日本人は「お金は使うとこの世から消滅する」という謎思考から抜け出せるのか⇒成程成程!!
富山生まれ「極力採りません」「閉鎖的な考え方が強いです」⇒非難囂々。「偏見だ」「人によるだろ」
まぁ採用が絡むからというのもあろうが、これが、別に採用を絡めず富山県でなく例えば隣の石川県、「石川県民は議論が苦手」とか言うと「人によるだろ」と怒られる雰囲気なんだが、「日本人は〜」だと「人によるだろ!」と怒らずそのまま受け入れる雰囲気、あれは何なんだ。
逆にもっと広く取って「黒人は怠け者」とか言うとこれも怒られそうである。んでフランス人は〜はOK.
普通に考えると、範囲を絞って「○○県民」の方が特長を語り易い気がするんだが、何故か憚られる。
やはり民族自決、国民国家体制単位に思考が慣らされてるのか。まぁ実際、統計は国単位のが一番揃ってる気もするが、だが「日本人は云々」言いたがる人ってまず統計を目にして言うのではなく、「そう考えるようになったのは、Twitterで自分の記事に対する反応を見ていたときだそうで」等の身近な生活からの実感が動機だ。ならば猶更、富山県民なり富山市民なり範囲は狭まりそうなものだがいきなり日本人だ。アジア人でもなく日本人。
日本人で括ってくさすのに躊躇がないのは、富山県民は〜だと特定の人々を責める(あるいは褒める)感があるが、日本人は〜だと、世間に物申す感があって特定の人々ではなく寧ろ人々を取り囲む環境が対象になる感じもする。「日本人」は民衆ではなくお上を指すのだ観。
コメント