「私たちは、目覚めている時はいつも、何かを意識しているにちがいないと考える。なぜなら、問うた時にはいつも、たしかにそうであったからである。そこで私たちは、この結論に合う比喩を作り出す。つまり、劇場、スポットライト、意識の流れといったものだ。しかし、私たちは間違ってる。完全に間違っているのだ。
真実はこうである。問いを問うていないときには、意識の内容もないし、それを経験している者もいない。その代わり脳が働き続け、出ネットの多重走行理論にあるように、色々な事を同時に並行して行っている()実際のところ、意識的な脳活動と無意識的な脳活動という考え全体を捨て去る事ができるし、それとともに、それらと脳活動の間の「魔術的な違い」の問題も捨て去る事ができるのである。
()
この意識に関する新しい考え方のもとでは、古い問題の大半は消え去ってしまう。意識がどうやって脳の客観的な活動から生み出されるのか、あるいはそこから生じてくるのかを説明する必要はない、なぜなら、そんな事は起こっていないからである。()主観的経験はどうやって進化してきたのか、またそれは機能を持つかどうかについて悩む必要はない。なぜなら、経験の流れなどないからだ。ただつかの間の出来事があるだけであり、それが錯覚を生じさせるのである。
この考え方によれば、人間と同じように意識を持つことができるのは、人間と同じくらい錯覚を持つことができる生き物のみである。()錯覚を生み出すのに役立つ諸々の要素、すなわち言語、心の理論、自我の概念、その他のものをすべて持っているのは人間だけだからである。他の動物は()お望みならば、経験を作り出していると言っても良いが、誰かに生じるような経験の流れを作り出しているわけではない。彼らはけっして、自分を混乱に押し入れるような難しい問いを自らに問う事はないからである」

意識 (〈1冊でわかる〉シリーズ)
スーザン・ブラックモア
岩波書店
2010-02-19